昭和四十七年八月十六日 朝の御理解
御理解 第四節 「此方金光大神あって、天地金乃神のおかげを受けられるようにな った。此方金光大神あって、神は世に出たのである。神からも氏 子からも両方からの恩人は、此方金光大神である。金光大神の言 うことにそむかぬよう、よく守って信心せよ。まさかの折りには 天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神、助けてくれと言えば、 おかげを授けてやる。」
昨日、おととい、本郷の若先生の誘いで、同期ですから、末永先生と田中先生が熊本の木山教会の矢野先生のところへ行きたいが、あんた達もいかないかという誘いを受けた。それで是非行きたいという気持ちを持っとったらしかったので一緒に連れていってもらった。
昨日あちらへお参りさせて頂いた先生のお話をここで二人で聞かせてもらったんですけれども、帰りに小国教会にも寄らせて頂いた。あちらの先生のお話も頂いて、木山の教会の矢野岩二郎先生のお話も頂いて、成程、御比礼受けられるという教会、又おかげを受けておられるという先生は、どっかがやっぱり違う。
お話を頂いておるうちに、あちらは先年、御建築があっておりますが、こちらにも見えましたが、ここと、ほとんど同じ作りだそうです。
参りましたら大変喜んで、私も一回お話を頂いた事がございますが、大変お話の上手なお方です。あちらはなかなか、お徳の高い先生ですから、あっちこっちにお説教に出かけられますが、だからお説教坊さんのところでは人が助からんという、ひとつの例外ですね。
こちらの先生の場合は、お説教にも出られますが、口だけではないという事になるのでしょうか。本当の信心が出来られて人が助かっておるということに思わせて頂くのですが、その先生のどこがそういうふうにおかげ頂かれるかというと、私、今日四節からヒントを得たのですけれども、「金光大神のいう事にそむかぬよう、よく守って信心せよ、まさかの折りには、天地金乃神と言うにおよばぬ。金光大神助けてくれと言えば、おかげを授けけてやる」というここのところだと思う。
あちらへ参りましてから、もうとにかく甘木の、まあだお若い頃からのお弟子さんです。ですからもう生々しいまでに、師匠、安武松太郎先生を浮き彫りにするようなお話をなさるそうです。
もう安武松太郎先生のお話をはじめると目が輝いてくる。そしてもう感動いっぱいでそのお話になる。師匠はこうじゃった。安武先生はこうじゃったと言うてお話になる。親先生のお部屋というのがひと部屋あるそうです。そこは全然使わない。
もう親先生はおいでにならんのですけどね、安武松太郎先生のお部屋。お写真が飾ってあって、その隣の部屋に先生御自身がおやすみになるそうです。
もう、勿体のうして、そこではやすまれんとおっしゃるそうですが、親先生をそのようなふうに頂いておられるわけです。
同時に私はその金光大神の言うことにそむかぬようにということがね、安武松太郎先生が教えられた事にそむかぬよう、勿論、矢野先生あたりの場合はもう、口を開けば親先生であって、もう金光大神と親先生と天地金乃神様が一体になっておられるという感じですねぇ。
「親先生!!」とこう申し上げる時には、既に金光大神がそこに、天地金乃神の働きがそこにもう既にあっておるという程しのおかげを頂いておられるからこそ、現在木山教会の御比礼があるそうです。
ですから、只、そんなら「親先生」と「助けて下さい」、親先生だけでは助けて下さいが真実なものになってこない。常日頃金光大神のいうことにそむかぬようとおっしゃるように、矢野先生の場合であれば、安武松太郎先生の言われる事にそむかぬという信心が出来ておられると言わなければなりません。
金光教の信心では、親先生、いわばお取次、これは親先生には限らないことですけれども、お結界に奉仕する先生をそのまま、金光大神と頂く。
それが本当な奉仕者に対する頂き方なんです。ですけれども、形の上ではね、まあ他所の教会から参って来られると、この前で、パン、パ-ンと柏手打って、ここに座っておる者を拝まれます。いわゆる金光様が座っておられるという事。
この前大阪の明渡先生がみえましたですね。もう私はびっくりいたしました。ここで御夫婦でパンパ-ンと、もうえらい大きな音をたてられて、金光様おはようございます!と言うて、もうびっくくりするごたる声で言われるんです。
もう、本当にこっちが返事しようごとなる。けれども、これは私に言いごさるとじゃない。金光様に言いごさるとじゃからと思うてから、まあ返事も致しませんでしたけれどもね。
もうその金光様とあれだけの勢いをもってやるならばね、いうならば、金光様がそこに現れて下さるだろう。矢野先生が言われ通しに言われた中に、一生懸命になったときは、恥も外聞もないときだとおっしゃったそうです。
明渡先生の場合なんかはそういう事はだから、ここではこげなこつ言うたら笑われやせんじゃろうかといったものが全然ないようです。
大きな柏手を打たれ、しかも私が座っておるここに向かって、勿論私じゃないでしょう。金光様おはようございまずと、それは大きな声で、もう一生懸命です。
そういうふうに一生懸命に、そんなら金光様を頂くという事は、金光様をそこに顕すという事。金光大神を顕すという事は、天地金乃神様のお働きを顕すという事。
天地金乃神様のおかげを顕すという事はとりもなおさずおかげを頂くという事なんですからねぇ。
ですからこのへんのところを、教学的に説きますと、取次者、即、金光大神。何故金光大神は天地金乃神様といわば御教えにありますように同根とおっしゃる。天地金乃神と同根なりとおっしゃる。
その同根であるところの金光大神をそのようにして頂く。即、だから親先生、金光大神。親先生であって安武松太郎先生あって矢野岩二郎有りという思いがいつもいっぱい。
親先生と言うて、言い出してお話をはじめられると眼が輝いてくる。もう七十幾つかのおじいさんであんなさいますけれども、もうそれこそ安武松太郎先生の話をすると、もう感動いっぱいで話される。
しかもその安武松太郎先生の頂き方がです、今でも師匠安武松太郎だけれども、安武松たろう先生を、即、金光大神として頂いて、金光大神のお部屋までが出来ておるという事。
と言う事は、金光大神の言う事にそむかぬようにという事ではなくて、それほどに安武松太郎師匠、金光大神をそのようにあがめ尊んで頂いておられるという事になるのです。けれども、やっぱりその親先生たる者がそんなら信者一同から、金光大神としてあがめ尊ばれ、そしてそこに各々が金光大神の働きを担える程しのおかげを頂くために、その親先生のいう事を本気で、金光大神のいう事にそむかぬようという事は親先生の言われることにそむかぬように守っておらなければ、出来る事じゃないです 最後のところの親先生、助けて下さいというところが出てこない、いや本当のものになってこない。天地金乃神と同根、一直線のものになってこない。
こういう表現は金光教独特のものでしょうねぇ。金光教の信心を説かれる。金光大神のだからお手代わりと、お手代わりそのものを金光大神として頂く。
只、そこで頂くということだけではない。頂くことのためにいかに金光大神の教えにそむかぬようにという、日頃、親先生の教えて下さった事を、これだけは頂きぬき守りおかせておるという、そむかぬようにという信心が出来てはじめて親先生!!、そこにおかげを受ける。
だから、いよいよ尊ばなけれはおられないのであり、有難い。いうならば、親先生金光大神、天地金乃神に直結した、いうなら信心。おかげがそこから頂けれる。
だからその為には、どうでも成程ここにはわら人形が座っておってもそれは金光大神。ちった頭の足らんごたる先生が座っておっても、やはり金光大神として、頂かなければならないというところに難しさがある。
今言う、只、柏手打って金光様というだけなら、一生懸命になりゃ出来んことはないですけれどもです、それがそんなら空々しいものであってはならんののてすねから それを実感として頂ける事のためにその親先生の言われる事をです、いうならば、どんな馬鹿んごたる先生が言うた事でもです、いうなら私共のような程度の低い者が言うてもです、それを即生神金光大神様のお言葉として頂いて、それを行じさせてもらう。いうならばそむかぬように守るという事はそんな事。
ここからはじめて、もう親先生じゃない、生神金光大神としての働きをそこに顕し見る事が出来る。
ですから、とうていそんなら甘木の初代のような素晴らしい先生だからこそ、矢野岩二郎先生はそのよう頂かれたわけなんです。
だから、これはどうでも、そんならここでいうなら、大坪総一郎、私自身が安武先生のような素晴らしい先生を目ざさなければならない事になるのです。
もう家の親先生は生神様と同じと言われる程しのいうなら、精進をしなければならない。信者側としては、それは馬鹿先生であっても、それを金光様と頂かしてもらう精進をしなけれはならない。そこにそのあいよかけよで、あいまっていく信心が願われるわけであります。
そこからです、私共は一生かかったっちゃ金光様のような御信心、又は安武先生のあたりのような信心が出来よとは思われません。思われませんけれども、いわゆる願われる方の側、信者氏子の方の精進がだから求められますわけです。
そして結構するとどういう事になるかと言うとです、問題に結局金光大神と頂けれ頂こうとし願うその氏子一人一人もわが心が拝めるれるようになるという事。
自分が有難とうなるいう事です。自分自身が有難とうならして頂きゃぁ、ここへたとえ馬鹿先生が座っとっても、その馬鹿先生が馬鹿先生じゃない、即、生神様のお言葉として頂けるようになる。
だからこれはもう本当に、教師たる者、又は信者たるものはそこんところを精進してゆかなければならない。そしてそこに一致、更が出てくる。本当にもう今日という今日ばかりは親先生を生神様と拝んだといったような日々が段々続かせて頂けれるおかげを頂くために、私自身の信心がそこになされなければならん。
これはね、だれかれの上に於いても、人間総生神、金光様の御信心する者は、全て生神を目指すんだとゆうふうな表現をなされますけれども、みんながそのように生神になれれる内容を持っておるということなんです。
それをお前は生神になれる内容を持っておるんだという事を、自然は私共に指し示して下さる。教えて下さるにもかかわらずなかなか、生神様にはなれませんけれども例えて、昨日二人の先生の話を聞いた後で、私はお話した事ですけれど、今、私の控えに軸のお供えを頂いておる。
あれには布袋和尚の絵が描かれております。その軸を頂いた朝の御理解が丁度、その布袋和尚の絵が描かれて、それに讃が書かれてあります。それが京都の南禅寺の先々代が書かれた絵であり、書なんです。それと同じ意味の事を頂いたんです。
どういう事がかいてあるかというと、「天上に於いては弥勒菩薩、人間世界に於いては布袋和尚」というわけなんです。
そんなら布袋和尚という方は、どういう徳を顕わされたかというと、先日からちょっとお話しましたように、人間が「要るものは有る」と実証していく人です。
大きなお腹を出して、大きな袋の中には、もう人間のいわゆる必要なものがすべてその袋の中に入っておるという、あれは意味合いなんです。
天上界に於いては、弥勒菩薩、地上界におょては、布袋和尚だと、だからそういうお徳を受ける人を、生神というたり、お道では金光大神の境地というのじゃないでしょうか。
客殿に短冊がかかっております。あれは三千年に一回しかならないという程しの、桃の実の事がかいてあります。大体は合楽という教会がいよいよ人が助かる事の為の霊地に定められた。
これは例えば五年前に定められたというのではなくて、もう昔々、大昔から、これは定まっておったものだと、合楽というのは神様と氏子がいうなら、極楽に行くという道なのだ。両方が拝み合えたり、お礼を言いあえれる信心が生まれる所なのだ。
それをそんなら例えば、善導寺で善いお導きを頂いて、それが勿体ないという、そして椛目という心に花を咲かせる所、その心の花を持ち続けて常持に至って、そして合楽にゴ-ルインというあの御理解を頂いて、これはね、例えば、こじつけたのではない。その事は全部善導寺から、ここまでのバスの停留所の名前ですよ。
ですから私が導かれた、そして有難く勿体なくなった。そして心に有難い花を咲かせた。その花を持ち続けて合楽に来た。大体それが神の願いであり理想なんです。
そんならここを例えば中村さんが頂いておられるように、ここを霊地となさしめる程しのおかげを頂く為には、そういうそんなら信心を頂きつづけていかなけれはならない事になる。
それも私一人ではなくて、ここに集まる多くの人が、そういうおかげを頂かせて頂いてはじめて、合楽といういわゆる神定めの地で,お徳を受けていく事によって神様の願いが成就していく。そういう願いをかけられておる。
そういう中心に私が合楽教会初代教会長として、そんなら私が定められておるという事は、そんならそういう人はもう三千年にという事は、もう美空ひばりという歌手は、百年に一人しか出らない歌手だそうですね。という事は三千年に一度という事と同じ意味なんです。もう後にも先にもこういう人は出ないとい事と同じことなんです お釈迦様とかキリスト様とか、又は教祖金光大神という人達はもう後にも先にもそういう人達は出ることはないう程しの事なんです。
だから私も大体をいうたらです、そういう素晴らしい集まってくるものから頂いてもそれを感じんわけにはおられんて。
丁度その朝の御理解頂いた、いわゆる天上界に於いては弥勒菩薩、地上界に於いては布袋和尚といわれる人達が何人かおるかもしれんけれども、私もその中に入っとるというくらいな思いを持たせて頂いて精進させてもらわなければならない。
ところがなかなか出来ませんけれども、合楽では真似かたのことが出来ておるということ。これは私だけではない、お互い一人一人が天地金乃神様の願いというものはそのように助かってくれという切なる願いというものを、だからその声を聞くときにです、はじめて心が開けてくるのです。そういう自覚に立つのです。
親鸞上人でも日蓮上人でもそうでした。自分はもう仏様の申し子のように信じておられた。日蓮上人なんかでもそう、自分のいうことがかなわんはずはないという程しの大信念を持っておられた。
それはそういう自覚に立たれたからだと思う。そして精進されたから、私共はその精進が出来ませんから、なかなか顕す事が出来ない。
本当に生神金光大神のお手代わりとして、だから私は思うんです、小倉の桂先生なんかも、そういう大信念の方であったが、七生報今日を誓われた。
今頃からここの修行生の方達が集まった時に申しました。お互いが小倉に縁を頂いておかげをこうむっておる教師の資格を頂いたんだから、桂先生が七生報教を金光様にお誓いになった。
「四神金光様、桜宗五郎は七度生まれかわって、この恨みをはらさずにはおくものかというたそうでございますけれども、この桂松平は、七度生まれかわって、お道の為、つくさせて頂きます。そしてこの有難いお道を万国に広げさせて頂きます」と言うてお誓いになったという事でございます。
ですからね、お互い教師たる者はです、そんなら私は桂先生の生まれかわりだと自負出来れるようなものが必要だと私は言う。
そげなこつ言いよったら、それこそ思いあがっとると言われるかもしれんけれどもこれは私だけではない。皆んながそう思える程しの信心を頂いたらいいのです。
だから私こそ桂松平先生の生まれかわりと、それをまちっと言うとです、布袋和尚の生まれかわりと言うてもよいかもしれません。金光大神の生まれかわり。生まれかわりが出なければ、教祖金光大神に神頼みになられた天地金乃神様の願いというものが、この喜びに成就してゆかないのです。
いわゆる金光大神という事をそういうふうに聞いて頂いた日はもうとにかく、変わった方達ばっかりがあって、応接間を次々と使わなければならない。
初めての方とか、十年ぶりに参ったという方達ばっかりでしたから、私は下がっておりましたから応接間でお話をさせて頂いた。
そしてこうお茶を出させて頂きよりますけれども、もうお茶菓子はなあもなかて、神様にあげんしんてお供えがしてありますけれども、最近、私はある事からもう御神前にお供えててあるものまで下げて、飲ませたり食べさせたりはしない事にしたんです。ですから下げられないわけです、それでなあにもなかとこういうわけです。
それから無いならしょうがなかねと言うて頂かして頂きよりましたら、ケ-キをもって来ました。そしたら、これを丁度頂いたからと言うて持って来た。コ-ヒ-に丁度ケ-キ-があり、それからまた三十分くらいしたら、もう、それは一本のケ-キですから六人か七人くらいですからすぐしまえてしまった。
それから又、次に佐田さんが五、六人でお見えになりました。これはもういよいよなかじゃろうと思うて入ってみたところが、柏餅がどんぶりに出てから、そしてお茶が出してございます。
ははあ、お茶のときはお茶のときでちゃぁんとあの麦茶ですからね、と柏餅がちゃぁんと出てきとるわけです。コ-ヒ-の時はケ-キがあり、麦茶を出したときにはこれは佐田さんああたが持って来なさったつのと言ったら、いいえと言いなさるでしょうが。いつもあちらからは頂くから、自分達の頂くお茶菓子は持って来なさったつかと思うた。
ところが実は、あの、今霊様の方から下がってきたばっかりでございますというわけです。本当にその要るものはそこに有るのである。
要るものはある。しかもそんならこれが玉露どんば入れとったら、羊羹が来ておったに違いない。コ-ヒ-のときはケ-キがあり、麦茶の時は柏餅がある。要るものは有る。そういう、例えばささやかなおかげではあるけれどもです、もう、これはささやかはとは言われない大変な事ですけれども、ささやかなそういうおかげ。
そんならここに、一億円要るから一億円、即そこに集まるといったような事はまあだ出来んに致しましても、それがなんとはなしに整うていくというおかげを私は顕しておるという事がです、天上界に於いては弥勒菩薩、地上界に於いては大坪総一郎と言われる程しのいうならば、もう段階に登っていきつつあるという事を感じます。
だからこの程度の事では、そんなら皆さんが私の言う事は信じれませんから、ですからもっともっと、私が素晴らしくならせて頂いたら、皆さんがそれを信じられる事になる。そして私のいう事を聞かれる事になるだろう。そん時にはじめて金光大神の言う事に背かぬようという事になるのです。
親先生のおっしゃった事にそむかぬようにという事になるのです。だからそこではともう親先生と言えばおかげを授けてやるというおかげが顕れてくるわけです。だから今の時点では皆さんにそれだけの程しのものを与えきれないのですから。
けれどもこれはなんとかして、もっともっとそんならこの信心はですね、まあ、柏餅とかケ-キぐらいの事ではない。もっお素晴らしいものが、要るもの、必要なものはここに有るという程しのものです。おかげをいよいよ顕してゆかなければならないという事を感じるのです。
いいえもう親先生のおっしゃる事は、神様のおっしゃる事と思うてから言う事は聞いてますと皆さんはよう言いますよ。そして又どこの皆さんよりも合楽の方は、親先生を大変尊ばれます、大事にされます。
けれども私が今日いうておる、そんなら矢野先生が、安武松太郎先生を頂いてある程しの事ではないという事なんです。
先日も野口さんところの熊本に行っとります久美子さんの生まれた子供がちょうど日ばれでお礼に出てまいりました。どうも先生子供が脱腸のごとある。それで医者にかかろうかどうしょうか、親先生にお伺いしてからとこの人が言いますけんと、言われますから私が申しました。
そしたら安心が出来るごとね、お医者さんに診せてみたらいいでしょうと私は申しました。そしたら昨日でしたか、その翌日お礼に出てみえてから、帰りがけに病院に寄ったと。そしたらこれは脱腸じゃないと。これは自然にほっときゃ治るじゃろうとまあそれで安心した。
私が言うたっちゃあんしんは出来んとです。しかもね、もうしわのよってきた。もうちょっと本当親先生がお取次願うたらね、診らせてよかろうとおっしゃらずに安心が出来るようにとおっしゃったろうがと、お医者さんに診せてから安心が出来たろうがと。だから後は神様にお願いすればよか。それだけ時間がかかるわけです。私と皆さんの場合はまだ。
お医者さんが言う程しに、皆さんが私を信じきんなさらんわけです。そうでしょうが。お医者さんが言われるともう安心する。その安心のいうなら、心がもうおかげにつながる。私がここで、いいやそれはもう医者に診せんでもよかばいと、もう親先生があげん言うて頂くから安心したというなら同じ事なんですけれどもね、まあだそこにこちらは、いわゆる金光大神になれれる資格は持っておるけれどもです、持っておるけれどもまだそこまだ到達してないから、皆さんが信用されない。先生はあげんおっしゃるばってんという不安がある。
そこでそんならば、そこにですね、医者にかける事もよかろう、安心が出来る事の為に医者に診てもらう、安心が出来た。
その時に野口さんは親先生のおかげとピシャッと受けとめた。親先生がああおっしゃったろうが。安心が出来る事の為にじゃけん。
この次はもう失敗しちゃならんばいというようなものが野口さんの心の中にはあるわけです。野口さんはそれでいよいよ確信が出来いくけれども、娘達の場合はほんに医者に行っておってよかって。安心が出来たという事までしか頂けていないという事 だからね、いかに金光様、生神様と言うて拝んだところで、その生神様の言われる事を信じられなくては、それは頂いた事にはならないわけなんです。
だからねここんところは、こういうふうにいうならば、微妙な難しい御理解、金光様の言う事にそむかぬように、そんならここでは私の言う事にそむかぬようち本気で修行させて頂いておるならばです、やはり親先生助けて下さいと言や私は助かると思う。けれども私の場合は、まあだお医者さんが中に仲介してござるというような感じなんです。お医者さんが中でいっぺん取次しなさらなければ、安心が出来んというくらいなところが合楽の信心じゃなかろうかと思うのです。
けれどもここんところをいよいよ本当なもの、私は金光大神助けてくれという事は矢野先生のそのお話から頂いてです、もう矢野先生の親先生というのは、即金光大神であり、即天地金乃神様である。
だから今日あのような御比礼を受けて人が助かっていっおるわけである。本当に師匠の話を親先生の話をしたらもう、七十幾つですから、大体ありとあらゆる病気を持ったお方でだそうです。親先生というただけで眼が輝いてくる。それを感じたというのです、というくらいに親先生を頂いておられるわけなんですね。
だから皆さんもそのうように頂いて下さいとは申しません。けれどもわが心が拝めれるおかげを頂かれたら、私のようなもので拝めれるようになるという事。
私だけではない自分が拝めれるようになれば、自分の周囲の人も拝めるようになるという事。 私だけではない自分が拝めれるようになれば、自分の周囲の人も拝めれるようになるという事。
そこで私も精進してゆかねばならん。皆さんも精進しておかねばならん。そして金光大神の言うことにそむかぬよう、馬鹿先生が言う事もやっぱりそれが御理解のおっしゃる事として頂いて守っていくという事。守っていくから私は金光大神助けてくれいや親先生助けてくれと言えばおかげが授けて頂けるようなおかげに直接するわけであります。
皆さんはだからある程度に於いては親先生を顕すという事はそのまま、皆さんがおかげを頂かれるという事なんです。
どうぞ。